遠崎家
tohsaki
/ 2004.04. 5 12:29
前に遠崎家(自分の家の方)の出自について親に聞いてみたが、あまり山口県とは関係がないらしい。
要点をまとめると、次になる。
- 祖父の代の出身は、富山県の氷見のようだ。
- 家計図のようなものは、父親もみたことがない。
- 昔の戸籍謄本をみると、「平民」とかいてありましたから、農・工・商のうちの農ではないだろうか?
- 農地解放の前は、ずいぶん土地があって、小作人がいたそうですから、いわゆる「豪農」?
- 氷見(朝日町と言うところ)で、昭和初期に大学に行った人はほとんどいなくて、祖父(嘉雄)が金沢大学、祖父の従兄弟が東大の医学部をでて、桐生で医者をしていた人くらいしかいなかったとか。この時代だと帝大なんだろうか?祖父の両親は早くに死んで、そのばあさんの「てい」さんという人に育てられたらしい。だから、小作からあがってくる地代で、大学まで行ったのだから、相当の財産があったのだろう。
- 氷見の上日寺という真言宗のお寺が、先祖代代の菩提寺で、祖父が、大学(金沢大学)を卒業して、三菱重工長崎造船所に就職したときに、そのおばあさん(てい)を連れて、長崎に赴任したときに、仏壇とかは、お寺に預けていって、ずっとお寺の廊下の天井にその仏壇は吊り下げてあったそうだ。
- 家・屋敷は祖母(みつ)の実家に、管理を頼んで(高校の先生をしている ひと(祖母の姉さんの子供)がずっと、管理してくれていたので、昭和38年にただ同然で譲ってあげたそうだ。
- 祖母は、楠という家の人で、父親も、お兄さんも、小学校の校長だったそうです。
- 当時、女学校を出て、師範学校を出た女性は祖母の姉妹だけだったとか、氷見は漁村だから、民度は低かったのではないだろうか。
- お墓は昭和51年自分が生まれたときに、氷見の上日寺から横浜霊園にうつした。そのときに、本籍も、氷見から横浜に移した。祖父が、お墓が氷見では、誰もお参りしてくれないと思ったのではないだろうか。
- 何か資料があるとすれば、上日寺に残っているかもしれませんがわかりません。上日寺は大伴家持の時代からある由緒あるお寺だそうです。
たった二代か三代上のことでも全然情報がないものだなあ。
直感的には、氷見より先に、山口を調べたほうがよさそうな気がしている。
別に自分の家の歴史を調べるのが目的でもないのだけど。
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